沿革

「世田谷区手をつなぐ親の会」(親の会)は、区内の特殊学級(現在の特別支援学級)の親が集い、先生方の協力の下で昭和32年に誕生しました。設置校は小学校が松沢・弦巻・尾山台、中学校が八幡と若林の5校のみで、当時“ちえおくれ”と言われた子ども達に対する理解もまだまだ少ない厳しい時代に親達が手をつなぎ、子ども達の豊かな将来を願い運動を開始しました。

 

ここから

昭和49年に東京都が希望者全員就学を認めることになった後は、卒業後の働く場を求めて都・区に授産・更生施設の設置を働きかけ、また自らその不足を補うために、昭和51年4月、第1カ所目の民営福祉作業所として「白梅福祉作業所」を開設して以降、7所の作業所を開設するなど事業も展開してきました。
平成15年(2003年)、国は戦後続いてきた行政がサービス内容を決定する措置制度から支援費制度へと大きく舵を切り、利用者がサービスを選択し事業所と対等に契約する仕組みとなりました。平成18年(2006年)には障害者自立支援法が施行され、3障害共通の制度となり、福祉の実施主体を市区町村に一元化、地域生活支援や就労支援事業を創設、障害程度区の導入による公平性・透明化を図りました。平成25年(2013年)には障害者総合支援法が施行されています。
現在は親の会の活動も共生社会の実現に向けた取り組みにシフト、障害の有無にかかわらず、地域で生活が続けられるようにという目的を掲げています。

 

せたがや樫の木会

平成10年からは、知的障害のある我が子が生まれ育った世田谷で生涯を送れるように、親が安心して託せる社会福祉法人を設立したいという長年の思いを込めて、法人設立への取り組みを開始。平成12年10月には「法人設立準備会」を発足させ会員による設立準備を具体的に進め、平成14年2月、念願の「社会福祉法人 せたがや樫の木会」が誕生しました。

「世田谷区の障害児・者が住み慣れた地域で、安心して自立生活を続けられるよう質の高い福祉サービスを提供し支援します。」という法人ミッションの下、地域法人として当初からの思いや願いを引き継ぎ、地域における障害者支援を推進しています。

 

 

専門委員会の活動

平成21年度の総会では規約改正を行い、通常の活動に加えて新しい課題に取り組むための専門委員会を設置できるようにしました。後見制度の勉強会から始まった「成年後見制度委員会」は、広い意味の権利擁護を考えるために、現在は「権利擁護委員会」と名を改め、会員からの様々な相談への対応を行い、平成26年からは東京都育成会権利擁護支援センターと連携して、地域で安心した生活を継続するための「みまもりあんしんパートナーズ」=MAPSの活動を開始しました。「HP委員会」は、平成22年に親の会のホームページを開設して会員の協力を得ながら更新作業を行い、親の会の多様な活動を発信しています。「安心ネットせたがや委員会」は、防災に関する情報の収集と提供の取り組みに加え、平成24年からは障害の理解啓発を目的に「セータとガーヤの気持ち伝え隊」が共に生きる社会を目指したキャラバン活動を行っています。

 

創立60周年

平成28年には創立60周年を迎え、5月19日に記念総会、6月11日には二子玉川エクセルホテル東急にて記念祝賀会を開催し、日頃よりお世話になっております区議会の皆さま、世田谷区の関係所管並びに関係機関の皆さま、多くのご来賓の方々にご出席を賜り、会員と共にお祝いをして頂きました。

 

 

 

これから

平成18年以降を振り返り「創立60周年記念誌」を発行して10年間の活動実績をまとめました。親の会は、今後も「新せたがやノーマライゼーションプラン」の基本理念である「障害の有無に関わらず、誰もが住み慣れた地域で自分らしい生活を安心して継続できる社会の実現」をめざして運動を続けて参ります。